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東京高等裁判所 昭和30年(う)890号 判決

控訴人 被告人 王燕  弁護人 中村信敏

検察官 山口一夫

主文

本件控訴を棄却する。

当審において生じた訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、末尾添附の弁護人作成名義の控訴趣意書と題する書面記載のとおりであつて、これに対して次のとおり判断する。

弁護人控訴趣意第一点について、

然し乍ら、出入国管理令第二五条は、適法に本邦に在留し又は入国した外国人であると、不法に本邦に入国した外国人であるとを問はず総べてその適用があるものと解するを相当とし、これを前者にのみ限定すべきいわれはない。所論によれば、不法に本邦に入国した者については同条所定の旅券を所持することを期待することが不可能である旨主張するのであるが、不法入国者と雖も強制退去処分によらずして、任意にその本国政府(外交使節)より旅券又はこれに代る身分証明書、入境許可書、国籍証明書等を以て出国することの可能なることは、当審証人川上巖の供述により優にこれを認めることができるから、此の点の主張は到底採用し難い。果して然らば原判決が、原判示事実に対し出入国管理令第二五条第七一条を適用したのは固よりそのところであつて、いささかも法令の解釈を誤つたと謂うが如き違法は存しない。所論は総べて独自の見解であつて到底採用し難く、論旨は総べてその理由がない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 中野保雄 判事 尾後貫荘太郎 判事 渡辺好人)

被告人王燕の控訴趣意

第一点原判決は法令の適用を誤つておりその誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄せらるべきものと思料する。

原判決は第一として被告人は中国人であるが乗員でないのに旅券に出国の証印を受けないで昭和二十八年十月十三日夜神奈川県横浜港より兵庫県神戸港寄港英国船バターワイルド会社所属貨客船長沙号に乗船し英領香港に向け出国し同年十月二十二、三日頃英領香港に到着したものであると認定し出入国管理令第二十五条第二項、第七十一条等を適用して被告人を懲役四月に処したのである。

しかしながら記録に明らかな如く被告人は不法に本邦に入国した者であるが出入国管理令第二十五条はその文理並に法理解釈からいつて適法に本邦に在留し又は本邦に入国した外国人を対象としたものであつて被告人の如く所謂密入国者には適用がないものと解する。即ち同法条は第一項「本邦外の地域におもむく意図をもつて出国しようとする外国人は、その者が出国する出入国港において、入国審査官から旅券に出国の証印を受けなければならない」と、第二項「前項の外国人は、旅券に出国の証印を受けなければ出国してはならない」と規定しており旅券を前提としているのである。換言すれば有効な旅券を所持することを期待することが不可能な密入国者は包含しない趣旨の規定であると解すべきである。密入国の外国人に何故有効な旅券を所持することを期待することが不可能かというと本邦から出国しようとする外国人が旅券の発給を受けるには外務大臣に対し旅券法の定むるところに則つてその発給の申請をしなければならないのであるが密入国の外国人がその手続をすれば必ずや密入国の事実が発覚し捜査機関に告発又は通告されその結果処罰される虞れがあるのである。従つて密入国の外国人が有効な旅券を所持しようとするにはこの危険において発給手続をしなければならないことになり自己の密入国の罪(しかも密出国よりも法定刑の重い罪)を供述すると同一の結果を来たすことになるから密入国の外国人に有効な旅券を所持することを期待することは不可能である。

更に次の点からも右の解釈は正当であると信ずる。出入国管理令は密入国の外国人は同令第七十条によつて同令罰則中最も重刑を以て処罰されることになつており、その上同令第二十四条によつて退去を強制されることになつているのである。出入国管理令が密入国者をこのように強力に排除すべく規定しながら他方において密入国者のあり得ることを予定した規定を設けるようなことは格別の事由がない限り法の権威からいつても到底予想し得ないところであるからである。

以上の理由で原判決が密入国者である被告人に対して出入国管理令第二十五条第二項、第七十一条を適用して有罪を認定したのは法令の解釈を誤つた違法な判決であると思料するのである。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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